ヤマトの27年ぶり宅配便値上げ-浮き彫りになる構造問題と課題
松田潔社、Tom Redmond、Chris Cooper-
値上げが賃金上昇、個人消費拡大と経済の好循環を生む可能性
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過剰なシェア争いが低賃金の根源との見方も
江戸川区を中心に貨物配送業を手掛けるアート・プラは昨年末、ヤマト運輸からの配送業務の受託を打ち切った。同社の横田浩崇社長は「うちはドライバーが個人事業主。最終的にはドライバーの判断になるが、相談しながらもっと割の良い仕事があると紹介するのは私の仕事」と語る。
以前はヤマトや佐川急便など大手からの仕事を数多く受けていたが、その業務の平均的な労働時間は1日14、15時間と長く、「長期間続けるのは可能なのか常々疑問を感じていた」という。軽トラックに100個程度の荷物を積み配送するが、問題は再配達。「報道では2割程度とされているがもっと多い、感覚的には約半分程度だ」と話した。
ネット通販の盛り上がりで運送業界では人材不足が深刻しているため、適正な運賃を払ってくれる荷主を優先的に選べるほど仕事は十分にあると語る。横田氏の会社が受け取る手数料はヤマトの場合で荷物1個当たり160ー180円。このうち85%がドライバーの取り分となる。佐川や日本郵便の場合には150円程度とヤマトを下回るという。
ヤマト運輸を傘下に持つヤマトホールディングスは4月、健全な労働環境を守ることを理由に27年ぶりの運賃値上げ方針を表明。首都圏から大阪まで最小サイズの荷物を送る場合、現在700円の運賃が10月1日以降は840円となるなど、最大2割引き上げる。また、過去2年間で計190億円のドライバーらへの未払い残業代があることが社内調査で発覚し、速やかに支払うことも発表した。
ヤマトの運賃改定は、所得の拡大で経済成長の推進を目指すアベノミクスの進展と解釈することもできる。完全失業率は2.8%と1994年以来の低水準まで下がり、有効求人倍率も1.48倍と1974年以来の高水準で労働需給がひっ迫している状況。値上げが賃金上昇へとつながり、その結果個人消費を拡大させるという「経済の好循環」が動き始めているという見方だ。
一方で、2%の物価上昇という目標実現の難しさも浮き彫りにした。ヤマトの場合は物流需要の急増でドライバーが不足したことを背景に値上げに踏み切れたが、他の業界ではそこまで環境が深刻化しておらず、値上げの動きが広がるかは不透明なためだ。
コスト増による値上げ
ヤマト運輸の小菅泰治常務はインタビューで、運賃の値上げは「どうしても膨らんでくるコストをまかなうため」だったと説明。日本物流団体連合会の工藤泰三会長は5月の会見で、「ドライバー不足は日本が直面している深刻な問題。物流業界としては生産性を高め賃金を上げることが喫緊の課題」と述べ、業界全体が危機的状況にあると指摘した。
厚生労働省の統計によると、2015年の中小型トラック運転手の年間所得額は388万円と、全産業平均の489万円を約2割下回る。一方で、中小型トラック運転手の年間労働時間は2580時間と、全産業平均の2124時間を約2割上回っている。
小菅氏は、ドライバーの所得水準が他産業と比べて下位にあるのは事実と認める。しかし「ヤマトは運送業界のなかではトップクラス、全産業より低いことはないと自負している」と話した。今後はボーナスや表彰制度などを一層充実させることを検討していると述べた。アート・プラの横田氏はヤマトから「以前では考えられないような好条件で仕事のオファーが来たばかり」と明かした。
国土交通省貨物課の加藤進課長は「今の若い人にはトラックドライバーは魅力的な職種とは映っていないようだ」と分析する。総務省の統計では、トラック業界で働く人の約45%が40ー54歳で、29歳以下の層はわずか9.1%。他の産業との比較でも低賃金・長時間労働が横行しており、人材不足の解消には労働条件の改善が不可欠だと訴えた。
石井啓一国交相は5月の会見で、長時間労働を是正するため、政府が3月末に決定した「働き方改革実行計画」に、運送業に時間外労働規制を適用するほか、環境整備に向けた制度の見直しや支援措置を行う方針を盛り込んだと話した。こうした中、ヤマトはドライバーなど正社員の週休3日制導入を検討し始めた。
過剰な日本のサービス
国際的に見るとヤマトをはじめ各社の宅配サービスは過剰とも言える。ほぼ2時間の刻みで利用者は配達時間を指定でき、何度でも再配達を依頼することが可能。アート・プラの横田氏は、消費者はこれらのサービスを当然のことと捉えていると指摘する。「日本では配送料は無料だとの認識が浸透してしまっている」と嘆く一方で、自身もネット通販で注文する際には、同一商品なら無料配送を選んでしまうと告白する。
経済同友会の小林喜光代表幹事は、今回のヤマトの値上げについて「これまで日本の消費者はサービスなど見えないものにお金を払うことに比較的意識が薄かった」と指摘し、「きめ細かいサービスや付加価値をきちんと認めるきっかけになるのでは」との見解を示した。
「過去に宅配業界ではマーケットシェアを巡る戦いがあったのは事実」。宅配便シェア3位の日本郵便の村田秀男広報室長はこう話す。大手3社を中心に適正料金を考えずシェア確保にこだわったことが、結果的に人材不足や低賃金の問題の根源にあると説明した。日本郵便は10年にシェア争いの流れから身を引いたという。
これに対し、ヤマトの小菅氏はシェア争いは「われわれはあまり意識していない」と反論する。「良いサービスをしていれば必然的に受け入れてもらえるとの考えでやっており、強烈なダンピングをして受注を取りに行く思想はないと言うのが本音」と述べた。
ヤマトはドライバーの負担軽減と作業効率の向上を目指し、新たな取り組みも始めている。同社は4月から都内のセブンーイレブン30店舗で、店内に荷物を受け取れる宅配ロッカーを設置し試験運用を開始。設置エリアを順次拡大し、店舗数を増やす方針だ。
自動運転も視野
さらに、自動運転技術を手掛けるディー・エヌ・エーと無人車両を利用した配送サービスの「ロボネコヤマト」の実験を藤沢市で始めた。利用者が時間と場所を指定すると、宅配ロッカーを積んだ車両がその場所まで走り荷物を受け取れる仕組みだ。当初はドライバーが運転するが、18年をめどに一部の配送区間での自動運転導入を計画している。
ヤマトは人員も拡充する計画で、17年度は正社員とパートタイマーで計9166人を増員し、このうち7464人をドライバーに充てる。小菅氏によると4月からの応募状況は順調。正社員として積極的に受け入れていることや、パートの場合には要望に応じて柔軟に働ける時間や日数を受け入れるようにしているためだという。
また、約110万近い法人顧客のうち、アマゾンジャパンも含む大口顧客約1000社との間で値上げや引き受ける荷物の量について交渉中と明かす。「1割や2割ではなく、かなりの顧客から理解を得て合意ラインに達している」とし、主要顧客との交渉を上期(4-9月期)中に妥結したい考えを示した。
シティグループ証券の姫野良太シニア・アナリストは、「ヤマトの仕事はひと言で言えば労務集約産業」とし、これを支えるための配送網の整備や、ドライバーの報酬適正化といった努力は評価できるという。しかし「顧客の一部は値上げすれば他へ流れるのは明白。大規模な改善施策が業績や実績にきちんとプラス効果をもたらすのか現時点ではわからない」と慎重な見方を示した。